記録が役立つ時
お見舞い申し上げます
個人で記録することの意味云々なんて書いていたのですが、記録しておくことも意味があるな、と気付いたので今日はそんな記事です。
先週起きた熊本・大分での地震により大きな被害が出ています。改めてお見舞い申し上げます。被災した知人もおり非常に心配し、何か力になりたいと考えています。
ただ主婦で時間はあるけれど体力はなくてボランティア経験もない(そもそもボランティア受け入れ体制が整ってからお願いしますという呼びかけもみました)、中途半端な物資支援は逆に迷惑になることもあるというのも目にすると募金が一番いい支援なのかなというところです。
そして記録について
私自身は被災経験はないけれど21年前に数日間の断水は経験しているのでその時の経験の記録があればそういうことを書いて役立つ情報になったのかな、とふと思ったのです。混乱させる情報になってはいけませんが。
自宅の倒壊の心配がない状況での断水ではありますが…
数日間少ない水でどうやってやりくりしていたのかが記録があれば今後の自分の備えにもなったのにな、と。
そんなやりくり(という書き方も変な気もしますが他に適切な言葉が思い浮かばない語彙力よ)をしていた母(父は仕事で被災地に出ていた)をしていた母の年齢が今の自分とそう変わらないのも変な感じではあります。今そういう事態になった時冷静に対処できる気がしません(そんな事態は起きて欲しくないですが)。
判断が難しいこと、自分にとって前例がないこと、に誰かの似た経験が生きることもあるんではないかな、と。
そんなことをニュースを見ながら考えた今日でした。